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JA

1958-86

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3部後退と永遠の2部昇格候補

1958~ 1986年

1958年、SDエイバルのクラブ史の新たな章の幕が開けました。ほぼ30年間にわたる3部リーグ時代に突入し、グループリーグで度々優勝や準優勝を果たしながら、プレーオフで涙をのむシーズンが繰り返されます。

1963-64シーズンの初め、ウルコのユースから数名の選手が加入しました。その中でも特に有望視されていたのがホセ・エウロヒオ・ガラテで、彼はその後12シーズンにわたってエイバルでプレーし、代表にも20回召集され、3度の得点王に輝きます。

それでもチームはプレーオフを勝ち抜けられず、2部に上がれません。それどころか1974-75シーズンには地域リーグ(当時の4部)に降格し、どん底まで落ち込みます。結局、このカテゴリーで3シーズンを過ごすことになるのですが、その間に多くのサポーター、ファンを失いました。

地域リーグから3部リーグに復帰すると、チームは新しく創設された2部Bへの昇格を視野に入れます。それが実現したのは1986年。キーパーのガルメンディア、ルルアガ、フエンテス、ホス、チュチ・イダルゴらを擁するチームは、プレーオフでエストレマドゥーラを下し、念願の2部B昇格を手に入れたのです。

1985年に誕生したオフィシャルサポーターズクラブ「ラ・ボンボネラ」(現在の「エスコシア・ラ・ブラバ」の前身)の無条件のサポートも、チームの昇格に大いに貢献しました。こうして28年の長きにわたる、3部と地域リーグでの果てしない巡礼の旅は終わりを告げたのです。